カルバリ山の十字架

カルバリ山の 十字架につきて
イエスは尊き 血潮を流し
救いの道を 開きたまえり
カルバリの十字架 我がためなり
ああ十字架 ああ十字架
カルバリの十字架 我がためなり

かくも妙なる 愛を知りては
身も魂も ことごと捧げ
ただ憐れみに すがる他なし
カルバリの十字架 我がためなり
ああ十字架 ああ十字架
カルバリの十字架 我がためなり

イエスよ血潮を われに注ぎて
今よりわれを きよき宮とし
とこしえまでも 住まわせたまえ
カルバリの十字架 我がためなり
ああ十字架 ああ十字架
カルバリの十字架 我がためなり
 詩・曲 聖歌399・新聖歌112

受難週に入りました。

16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
 ヨハネによる福音書3章16〜17節

天地創造の神は、イエスキリストをこの地に遣わし、神を知らず、認めないで、自責の念に苦しみ、自分を愛することもできない私たちのために、十字架にかかり、全てを赦していることを、また、愛していること、一人一人大切であることを表してくださいました。「誰も私の気持ちはわかってくれない」と辛い毎日を過ごしているあなたへの愛のプレゼントです。目には見えない神が人間となって、目に見える形でこの世に来られたのが、イエス・キリストです。十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください」と最後まで、愛と赦しの神様でありました。そののち、3日後に復活し、40日間でしたちと過ごしたのち、弟子たちが見ている前で、天に昇って行かれました。イエスキリストは、神です。どうぞ、あなたも、その重荷を神であるイエスキリストに委ねてみてはどうでしょうか。神と共に歩む希望の毎日が訪れます。

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