渡邊義明牧師
クリスチャンにとって、毎週行われる礼拝は欠かせないものですが、そもそも礼拝の目的とは何でしょうか。それは「神との交わり」なのです。さらに言うなら「神との交わりの継続」あるいは「神との交わりの回復」こそ、私たちが礼拝を毎週行う目的と言えます。
☆神を礼拝するにふさわしい心
そして、神を礼拝する者に神が求めているものは1つ、「真実な心」なのです。
ですから、イエス様は「神は霊である。だから。神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:24)と言われました。
神は霊ですから、目で見ることはできません。しかし真理なる方ですから、確かに永遠に存在しておられます。
このような神と交わりをもとうとする人は、自分自身の内にも確かで真実なきよい心を持つ必要があります。
しかし、私たちは常にそのような心を持ち続けているでしょうか。
ともすれば、汚れた思い、すなわち悪意、疑念、高慢、妬み、みだらな思いなどが湧いてきてしまうのが私たちではないでしょうか。
☆コミュニケーションをとるために
「交わり」を表すギリシャ語のコイノニア、英語のコミュニケーションという言葉の、原義は「共有する」という意味です。
私たちが互いに交わりを持つためには共通のものを持つことが必要です。
例えば私たちは互いに共通の言葉を使うことによってコミュニケーションをとることができます。動物とコミュニケーションをとることが上手だったムツゴロウさんこと畑正憲氏は「動物たちの世界では金も、地位も、名誉も何の役にも立たない。経験と情熱と魂だけが使えるんだ。なぜなら、動物たちは人の心を見抜くからだ。」と言っていました。
ましてや、清い真実な方である神と交わりを持ちたい、交わりを継続したいと願う者には、やはり清く真実な霊が不可欠なのです。
かつてのイスラエルの敬虔な王であったダビデは神を愛し、神との交わりの継続を願いつつ、しかし罪で汚れた自らの心を悲しみ、全能の神にこのように祈ったのです。
「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。」(詩編51:12)
☆聖霊は風、助け主
イエス様は十字架に掛けられる前、弟子たちに
「・・・父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。」(ヨハネ14:16新改訳)
と約束されました。イエス様を信じる者には、清く確かな霊である聖霊が助け主として与えられ、この聖霊がいつも神との交わりの仲介者となってくださるというのです。また聖霊と訳された言葉は原語で「プネウマ」と言い「息」とか「風」が原義です。聖霊は風でもあるのです。イギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティが作詞し、日本の詩人である西条八十が訳した「風」という詩を紹介します
「だれが風を見たでしょう ぼくもあなたも見やしない
けれど 木の葉をふるわせて 風は通り抜けてゆく。」