皆さんはクリスマスと言えば何を思い浮かべるでしょうか。フライドチキンでしょうか。イチゴの乗ったケーキでしょうか。いろいろあると思いますが、やはりクリスマスにはプレゼントがつきものです。プレゼントは、贈り主からの好意のしるしです。ですから、親から子へ、恋人へ、親しい友へプレセントを贈るのです。そして、クリスマスにプレゼントを贈るのは、神さまが私たちに贈ってくださった、最大のプレゼントが救い主イエス・キリストであることを記念するためなのです。
神さまからの最大のプレゼントがイエス・キリストなのですが、すんなりと私たちが受け入れることができるかというと、なかなかそうでもないのです。なぜなら、このプレゼントは、神の最大の奇跡でもあり、あまりにも大きくて私たちの理解を超えたものだからです。そして、それは現代人の私たちばかりでなく、今から二千年前に生きた聖書に登場する人たちも同様でした。
今日は、イエス様の地上での父親になるヨセフが、イエス様を受け入れるまでの葛藤と決断を聖書から読み取ってみたいと思います。
ヨセフはナザレ村に住む大工で、マリアという婚約者がおりました。ところが、婚約中にとんでもないことが起きたのです。つまり、マリアが誰かの子を妊娠してしまったのです。おそらくマリアは言ったでしょう「このお腹の子は神さまの子なのよ。聖霊によって私は身ごもったのよ。」と。
だけど、そんなこと誰が信じられるでしょう。ヨセフは正しい人であった、と記されていますが、この正しい人というのはまず、ユダヤの律法を忠実に守る人、という意味があります。しかし、厳格なユダヤの律法によれば、婚約中に配偶者以外の男と関係を持った女は、石打ちの刑という死刑に処せられる決まりだったのです。
また、聖書でいう正しい人とは、憐み深い人との意味もあります。つまり、人の痛みや悲しみに敏感で、思いやる人ということです。
ヨセフは二つの正しさの狭間で苦悩しました。
すると夢に天使が現れ、言ったのです。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
聖書の言う正しい人とは、もう一つ、神を信じる人という意味があります。天使は神を信じる人に奉仕するために遣わされる霊です。ヨセフは神から遣わされた霊によって、神の言葉を信じました。そして、マリアを受け入れ、罪からの救い主を受け入れました。罪とは神に背き、離れることであり、その結果は死なのです。私たちは生きてゆく中で、自分の手には負えない状況に陥ることがあるかもしれません。しかし、そのような時、神の言葉を信じ、御子イエスを受け入れることによって、それまで考えられなかった新しい道が開かれるのです。そして、その道こそ救いの道なのです。