本日の聖書箇所は、洗礼者ヨハネと使徒ヨハネの証しが中心になっている。証しとは、目撃者、あるいは体験者の証言である。それは、神の言(ことば)が肉となって現れたイエス・キリストについての証言である。言(ことば)とは、思想や感情や意志を指すが、神の御心が人となって現れた奇跡的存在がイエス・キリストなのだと証言をする。
そして、このお方は、父なる神の栄光を現す存在であり、恵みと真理とに満ちていたという。
恵みとは、好意のしるしとして与えられる贈り物のことである。
それは物だけに限らない。信仰もまた神からの特別な恵みなのだ。
真理とは、本物ということだが、正しいという意味もある。また、いつまでも変わらない本当の事を指す。また観念に対する実体の事である。
英語では、真理はtrueであるが、ここで言う真理にはrealの意味がある。キリストはリアルな存在なのである。
そして、キリストを通して与えられる豊かな恵みは、尽きることがないのだという。まるで泉の如く、海の波の如く、恵みの上にさらに恵みを受け続けていると証言している。
現代にもキリストの証人はたくさんいる。ドイツ系アメリカ人のジョン・ノーブル氏は、第二次世界大戦の時、旧東ドイツにおいて無実の罪で逮捕されその後ソ連の共産主義下の刑務所や収容所に10年間も入れられたが、その中で信仰を恵まれ、まことに困難かつ過酷な状況にあっても、キリストを信じる者に神が与える恵みと真理の数々の証しをした。
また、デュシェンヌ型筋ジストロフィーという、徐々に筋力が低下してゆく進行性の難病を抱えた保田広輝さんという20歳の青年は、電動車椅子と人工呼吸器をつけ困難な生活を送っているが、その中にあってもイエス・キリストを信じる信仰が恵まれ、神が自分に与えた苦難と使命を自覚し、希望と生きる力に満たされて生きておられる。キリストを信じる者は、尽きることのない神のリアルでいつまでも変わることのない真実な恵みを受ける証人とされるのだ。