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礼拝メッセージ

「祈るとき導かれる」
創世記24章1〜27節

 現在のウクライナ情勢において、SNSなどを多用した情報戦がかつてないほど展開されていますが、フェイクニュースも多く出回っています。

 旧約聖書の時代は、もちろん現代のようにテレビやインターネットもありませんが、敵を陥れるためや、自分の利益のために偽情報を流すということも、ひんぱんに行なわれました。しかし、だからこそ唯一の神をどこまでも信じて生きるという真実な生き方が、闇夜に輝く一筋の流星のように輝いているのです。

☆ 神と共に歩む人生に実りあり

 信仰の父アブラハムは多くの日を重ねて老人になっていました。そして、主なる神は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになりました。旧約時代、神の祝福は多くの家畜やしもべ、家族、広い土地や財産、また長寿によって現わされましたので、アブラハムにも多くの財産と召し使いが与えられていました。(新約時代はキリストを信じることにより、知恵と知識の宝、聖霊、罪の赦し、永遠の命や神の国という祝福が与えられることとなりました。)

 アブラハムは全財産を任せている一人の年寄りのしもべ「に、息子イサクの嫁を自分の故郷にいる自分の一族から探して連れてくるという使命を与え、誓約を交わしました。

 アブラハムは長年この年寄りの召使いの信仰を見て、彼に自らの財産と息子の未来をゆだねたのでした。神に祝福されたアブラハムは信頼できる人間関係とともに、平安が与えられていたのです。平安は信じて委ねるときに与えられます。また神の祝福は、目に見えるものだけではなく平安や希望、喜びや愛という霊的な実りとしても現れるのです。

神の示しを求めて祈る

 さて、アブラハムから重要な任務を与えられたしもべは、主人のらくだの中から10頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を携えて500㎞も離れたアブラハムの故郷にやってきました。井戸の傍らにらくだを休ませて、腰を下ろし「主よ、この町に住む娘がここに水を汲みに来たとき、『どうか水を飲ませてください』と頼みます。その娘が『どうぞお飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう。』と答えれば、彼女こそ、あなたが主人の息子の嫁として決めた方とさせてください」と主に祈りました。

 すると、まだ祈り終わらないうちに、際立って美しい娘が肩に水瓶を載せてやってきて、井戸におりてゆき、水を満たして上がってきました。しもべは駆け寄り「水瓶の水を少し飲ませてください」と語りかけたところ。彼女は「どうぞお飲みください。」と答え「らくだにもたっぷり飲ませてあげましょう。」と言うではありませんか。

 祈りは神との交わりです。私たちの知恵をはるかに超えた主に頼り、知る力と見抜く力を身に着けて、私たちの愛がますます豊かにされ、本当に重要なことを見分けることができるように祈りましょう。(フィリピ1:9)

☆ 信仰を持ち自らをゆだねよう

 らくだが水を飲み終わると、しもべは携えてきた金の装身具を取り出しながらあなたは、どなたの娘さんですかと尋ね、アブラハムの兄弟であるナホルの娘であり未婚の処女リベカだとわかった瞬間、ひざまずいて主を伏し拝み、ほめたたえました。主はご自分を信じて心から切に祈る者の祈りに応えてくださることを目の当たりにしたからです。

 リベカも、しもべの証しを聞き、目には見えなくても、確かに存在する主を信じて行き先もしらないまま、自分を委ねました。信仰は神の祝福を信じて自らを委ねる決断でもあります。