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礼拝メッセージ

「悪魔の誘惑」
マタイによる福音書4章1〜11節

 昨日ウクライナのゼレンスキー大統領が、自国民にロシア軍への降伏を呼びかける偽動画 を目にしました。それは AI(人工知能)を用いて、本人そっくりの画像や声などを作る技術で ディープフェイクというそうです。私たちは、あざむかれやすい目を持っている反面、真実 なる神を見ることはできません。そして、悪魔も目で見ることはできないのです。 キリスト教作家の遠藤周作氏の書いた「真昼の悪魔」という小説の中に「悪魔はまるで自分 などいない、そんなものがいると思うのは荒唐無稽で、非科学的で合理的ではないと皆にお もわせるのが一番よいのですから。」というセリフが出てきます。しかし、目には見えなく ても悪魔は確かに実在し、悪魔こそ私たちの真の敵であると、聖書は警告を鳴らしています。しかし、万軍の主は信じる者と共におられ、悪魔から守り、勝利を与えてくださるのです。

☆ 聖霊によって荒れ野に導かれたイエス 

 洗礼者ヨハネから洗礼を受けた主イエスは、聖霊によって悪魔の誘惑を受けるため荒れ野 に導かれました。そこは、草木もほとんど生えておらず、乾いた石がごろごろ転がっている ような、生きるのに困難な場所です。つまり、聖霊は私たちをも、美しい花が咲き乱れる安楽なお花畑に導くのではなく、様々な 困難や苦悩のともなう現実へと導く、ということが言えるでしょう。 なぜなら、私たちの造り主である神は、私たちを訓練する神でもあるからです。その荒れ野で40日間断食した後の、飢えという極限状態にいるイエスに誘惑する者が近づいてきました。悪魔のことです。悪魔の本質は誘惑者なのです。そして言いました。 「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」 

☆ 人はパンのみに生きるにあらず

 飢えの極限状態の中で最も欲しいのはパンです。しかもイエスにできないことは何一つあ りません。しかし、悪魔の誘惑にのってしまえば、イエスは悪魔の言葉に従う者となってし まいます。悪魔の指揮下、支配下に落ちることになるのです。御子イエスは父なる神の御心のみを行うことによってのみ、神の子なのであって、悪魔に従って奇跡を行うならば、神の子の本質を失うことになります。しかし、イエスは 「『人はパンだけでいきるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いて ある。」と答えました。 

 人間は霊と肉とによってできています。ですから、食べ物は必要ですが、それだけでは真に生きているとは言えない。腹がふくれれば、金が儲かればそれで満たされる訳ではない。 私たちを生かすもの、希望や平安や愛を与え私たちの魂を満たすもの、それは神の言葉です。

☆ どこまでも私たちを生かす神の言葉 

 第二次世界大戦時、ナチスに連行されアウシュビッツ強制収容所にも入れられたユダヤ人 でウィーンの精神科医、心理学者であったヴィクトル・フランクルは著作「夜と霧」の中で あるエピソードを紹介しています。「収容所で人々は戦況の状況を知ろうとし、熱心に情報 を仕入れていた。しかし、もうすぐ戦争が終わる、という楽観的なうわさは、その時には希望をもたらすが、やがて落胆に変わり、何度か繰り返すうちに神経をすり減らし、絶望してゆく…。」不確かな人間の言葉を信じるなら、私たちも同じ状態になるでしょう。しかし、 神の言葉は永遠に変わることのない真実です。この神の言葉を信じて従ってゆくとき、私たちは落胆することなく、満たされつつ、いつまでも希望をもって生きてゆけるのです。