渡邊義明牧師
十字架刑は重罪を犯した者に行われた最も残酷な刑罰でした。 手足を太い釘で打ちつけられ、わずかに腰を掛ける横木がありましたが、それは受刑者の味 わう苦痛を長引かせるためでした。受刑者を打ちつけた十字架が立てられると、肺が圧迫さ れ、呼吸困難に陥ります。しかし、気を失いそうになると、腰かけから体が落ち、釘打たれ た手足に全体重が掛かり、その激痛で気を失うことができない仕掛けになっていました。 つまり、受刑者は呼吸困難の苦しみと、手足の釘の痛みとを死ぬまで味わい尽くすのです。
☆ 十字架上でのイエス様の祈り
鞭で打たれ全身血だらけになり衰弱しきった体で肩に重い十字架を背負わされ、イエス様 が向かったのは、されこうべと呼ばれている刑場でした。その時イエス様の他に二人の犯罪 者が死刑に処せられるために刑場に引いて行かれ、一人は右に一人は左に、十字架につけら れました。そのとき、イエス様は祈られました。 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
イエス様は自分を苦しめ、陥れ、嘲笑し、愚弄し、傷つけ、殺す者たちのためにこのよう に神の罰から免れるように祈り、さらに自らが十字架にかかり、彼らの罪をあがなう、聖な るいけにえとなったのです。
しかし、このイエス様のとりなしの祈りと、十字架上での犠牲はこのとき周りにいた人々 のためだけだったのでしょうか。いいえ、そうではありません。イエス様はこのとき、私た ちをも含む、全世界の人々の罪の赦しのためにこのように父なる神に祈り、十字架上で贖い のいけにえとなられたのです。
☆ 三本の十字架
されこうべの刑場に三本の十字架が立てられ、二人の犯罪人がイエス様の左右に十字架に つけられました。この犯罪人は、イスラエルのローマ帝国からの独立を目指すテログループ、 熱心党のメンバーだったと思われます。犯罪人の一人がイエスをののしりました。 「お前はメシアではないか。自分自身と我々をすくってみろ。」 彼は祖国のためと信じて活動してきました。しかし、行き着いたところは十字架でした。 彼は自分の人生は失敗だったと感じ、そしてその無念さからくる怒りを隣にいるキリストに すべてぶつけたのです。しかし、もう一人の方がたしなめました。 「お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は自分のやったことの報い を受けているのだから当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イ エスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」
☆ 信仰によって義とされた
彼はきっと隣りの十字架上のイエス様の祈りを耳にしたのでしょう。うわさには聞いてい たが、この人の愛と信仰は本物だ。この人は本当に神の子だ、と彼が真の救い主であること を信じたのです。信じるということは、自分自身を委ね、憐れみにすがる、という意味もあ ります。 「するとイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言 われた。」