渡邊義明牧師
イサクは 40 才のときにリベカと結婚をしたのですが、子供が与えられませんでした。神はイサクの父アブラハムに「あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように数多く増やし、祝福をしよう。」と約束をしました。それは、神の約束はアブラハムの跡継ぎとなったイサクからも子孫を 絶やさずに与えるということです。しかし、イサクとリベカには子供が与えられませんで した。
☆ 祈りは信仰の学校
そのような時、皆さんならどう思うでしょうか。神の約束を知りつつも、子供が与えら れない現実の中で動揺し、神を信じることをやめるでしょうか。イサクは、神への信仰が揺さぶられるような現実の中で、神への疑いが黒雲のように心を覆ってくるような状況の中で、主なる神に祈ったのです。信仰者しかしない特別なこと、それは祈りです。イサクは父アブラハムから、神への信仰を受け継ぎました。しかし、神はイサクが、強くて、揺るぎない本物の信仰者となるように、試練を与えたのです。
祈りは神への信仰の表れです。祈りを通して私たちは神に近づき、交わることができるのです。また、祈りは神に直接求めることであると同時に、神が私たちに求めていることでもあるのです。私たちを造られ、愛しておられる神は、私たちが神に祈ることを求めておられるのです。そして、試練の中での祈りを通して、私たちの信仰は、より堅固なものへと成長し、私たちの性質も神の御心に適う者へと変えられてゆくのです。
☆ リベカの祈り
イサクの祈りが聞かれ、リベカは身ごもりました。ところが、胎のなかで子供たちが押し合い、争っていたのです。彼女は不安になり、神の御心を尋ねるために出かけ、祈りました。
イサクの信仰が、彼女にも伝わっていた、ということです。主は彼女の祈りに応え、預言を与えました。「二つの国民があなたの胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で別れ争っている。 一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる。」そして、月が満ちて双子が生まれました。先に生まれた兄の方は赤くて全身が毛皮の衣のようでありエサウと名付けられ、後に生まれた弟は、エサウのかかと(アケブ)をつかんでいたのでヤコブと名付けられました。それはイサクが 60 才の時でした。
☆ 長子の特権を軽んじたエサウ
やがて、二人は成長して兄のエサウは巧みな狩人で野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり天幕の周りで働くのを常としました。イサクは狩りの獲物が好物だったのでエサウを愛し、リベカはヤコブを愛しました。ある日、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れ切って野山から帰り、ヤコブに煮物を食べさせてくれと願いました。ヤコブは「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」と言ったところ、エサウは「腹が減って死にそうだ。調子の権利などどうでもよい」とヤコブに誓い、レンズ豆の煮物を食べて、立ち去りました。長子の権利とは、親の遺産を他の兄弟の二倍分受け取る権利であり、家族の長となる権利であると共に、アブラハム家においては、神の祝福を受け継ぐ特権を含んでいました。
しかし、エサウは一杯の煮物と長子の特権を交換したのです。エサウは目先にある目に見える物事だけを追い、目に見えない神や、神の祝福の価値にはまったく無関心でした。そして、神の祝福を、永遠に失ったゆえに、みだらな者、俗悪な者と記されています。