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礼拝メッセージ

「イサクの井戸」〜柔和・忍耐・寛容の人〜
創世記26章12〜25節

渡邊義明牧師

父アブラハムから、イサクは信仰とそれに伴う祝福を受け継ぎました。もちろんイサク も人間ですから、弱さや落ち度もありましたが、神の恵みはイサクから離れず、作物も家 畜も召し使いもたくさん与えられ、イサクは豊かになりました。しかし、そのことにより その土地に住むペリシテ人のねたみを買うようになりました。

☆ 井戸を埋められたイサク

神の祝福を受けて、自分たちよりはるかに豊かになったイサクを見てねたみに駆られた ペリシテ人たちは、アブラハムの時代に掘られ、使われていた井戸をことごとくふさぎ、 土で埋めてしまいました。さらにペリシテ人の王アビメレクに「あなたは我々に比べてあ まりに強くなった。どうかここから出て行っていただきたい。」と言われ、イサクはそこを 去り、ゲラルの谷に天幕を張り住むようになったのです。そこにも父アブラハムの時代に 掘られた井戸が幾つかあったのですが、アブラハムの死後、ペリシテ人によりそれらもふ さがれていたのです。アブラハムにくらべ柔和なイサクはペリシテ人から甘く見られたの かも知れません。しかし、イサクはそれらの井戸を掘り直し、再び使えるようにしたので す。

☆ 何度も井戸を埋められたイサク

ところが、井戸を掘り直し、水が豊かに湧き出るようになると、ペリシテ人の羊飼いは、 「この水は我々のものだ」とイサクの羊飼いと争ったのです。しかしイサクは彼らと井戸 をめぐって争うことはせず、そこを去り、さらにもう一つの井戸を掘り直しました。しか し、それについても争いが生じたので、イサクはそこからも移りました。井戸は当時のこ の地域の人々にとっては、生きてゆくために、なくてはならない生命線であるとともに、 掘るためには大変な労力を要したので、大切な財産でもありました。イサクは父アブラハ ムからの遺産として、幾つもの井戸を受け継ぎましたが、その井戸を奪われたということ は、財産を奪われたことでした。しかし、イサクは争うことを選ばず、新たに井戸を掘り 直す労を取ることを選びました。そして、それはイエス様の言われた「右の頬を打つ者に は、左の頬をも向けなさい。」という教えに共通する、神からの教えでありました。 

☆ ついに広い場所が与えられたイサク

イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てましたところ、もはや争いは 起きませんでした。主は試練を与えたのち、イサクに安全な広い場所、自由な場所を与え てくださったのです。イサクが何度も井戸を奪われても、ゆずることができたのは、主が 共におられ、イサクに必要なものをすべて与えて下さることを、信じていたからに他なり ません。
このイサクの井戸掘りは、クリスチャンにとっての祈りに通ずるものがあります。 「絶えず祈りなさい」と新約聖書を通して主は私たちに教えていますが、たとえ、理不尽 な目にあったとしても、大切な物を失ったとしても、主はいつも信じる者と共におられ、 祈りに応えて、信仰者の必要をすべて満たし、平安という広い場所を与えてくださいます。 さらに、「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取るこ とになります。」とある通り、すぐには結果が現れなくても、根気強く、善きわざを行うと き、必ず実を刈り取ることになると、主は言われます。

世の争いに係わり、悪に手を染めることなく、神を信頼して絶えず祈り、善きわざ、つ まりキリストの愛を、飽きずに行ってゆくとき、主は広い場所、自由を与えてくださいま す。 決して誰からも奪われることのない最大の宝は、命の泉である主と共に歩む信仰な のです。