渡邊義明牧師
主イエスが十字架につけられた後、50日目に約束の聖霊が降り、その時から現在に至るまで、この聖霊が教会を守り、導いてきました。もちろん聖霊は単独で存在するのではなく、父なる神、そして御子キリストとの三位一体となって、教会を守り、導いておられます。この三位一体の神は、様々な象徴をもって言い表されてきました。たとえば、「王」「万軍の主」。これらは神の大変力強い偉大なる面を強調しています。あるいは、「盾」「砦」など私たちを守る堅固な存在としての神の側面を言い表していますが、今回の詩編では、主は「わたしの羊飼い」と言い表しています。
☆ 主はわたしの羊飼い
この詩の作者はダビデです。ダビデは紀元前一千年頃に生きた、イスラエルの偉大な王ですが、王になる前は羊飼いでありました。ですから、羊飼いとはどういうものなのか、よく知っていたのです。そのうえで、自らを羊に、そして主なる神を羊飼いに例えることが、最もピッタリとすると思ったのでしょう。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」
この冒頭の一節に、すべてが凝縮されています。
聖書の舞台となっているイスラエル地方は、半砂漠のような乾燥地帯が広がるところに、所どころ青々としたオアシスが点在していました。ですから、羊は餌になる青草を求めて、時々移動をしなければならないのですが、羊は大変に目が悪い上に、方向音痴であり、自分たちだけで次のオアシスに行くことができません。しかも羊は身を守るすべを持たないので、野獣に襲われたら、ひとたまりもありません。しかし、羊飼いが一緒にいるなら、羊たちは迷うことなく、ふさわしいときに新たなオアシスに安全に導かれてゆき、おいしい青草をたっぷり食べて、きれいな湧き水を飲み、野獣におびえることなく安心して憩うことができるのです。
☆ 羊飼いは羊にシャロームを与える
良い羊飼いは、羊を愛して大切に育て、羊の必要を知り、適切な時にそれを満たし、身を守る術のない羊を、野獣などの危険から守り、羊たちに平安を与えます。
シャロームは日本語では「平和」とか「平安」と訳されているヘブライ語ですが、それは
「精神的、物質的、個人的、社会的に、満たされた状態」を意味する言葉です。
羊飼いを信頼し、羊飼いから離れず、ついてゆく羊に、羊飼いは必ずシャロームを与えるのです。そのように主を信頼して生きている自分にも、主は必ずシャロームを与えてくださると、ダビデは告白しているのです。
☆ 死の陰の谷を通るとき
また、イスラエル地方には、昼間でも光の射し込まないような深い谷底があるそうです。
それは暗黒の谷とも言われますが、そこには羊を襲う野獣や、羊飼いを襲い、羊の群れを強奪する羊強盗が身をひそめていることもありました。ダビデは羊を導いてゆくときに、このような死の陰の谷を通らざるをえないときもあったでしょう。しかし、主なる神が自分と共にいてくださって、良い羊飼いが必ず羊を守るように、自分も守ってくれると信じて、勇気をもって先の見えない暗黒の谷底を通っていったのです。その度に主はダビデの信頼に応え