鈴木竜実牧師(めぐみイエスキリスト教会)
タイトル「あなたの重荷を主にゆだねよ」
聖書箇所
1詩篇55篇22節
『55:22 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配して下さる。主は決 して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。』
2マタイの福音書 11 章 28 節
『11:28 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があ なたがたを休ませてあげます。」』
ダビデそして主イエス様が言われる重荷とは何であろうか。おもに 3 つあるのではな いだろうか。「お」「も」「に」と
「お」とは、「思い煩い」である。思い煩いとは、広辞苑では、「いろいろと考え苦し む。思い悩む」と定義している。私たちは、思い煩う者である。しかし、聖書ははっき りと教えている。「思い煩い」は不信仰であると。
次に「も」とは何であろうか。それは「問題」である。問題のない人はまずいない。問 題は、その問題を主イエス様に委ねることが出来るかと言うことだ。
私たちが信じる主イエス様は神様である。神様に出来ないことは何一つない。しかし、 それをしていただく為には、私たちの側で、しなければならないことが二つある。
一つは、「待つ」ことである。私たちは、この待つことがなかなか難しい。待てない 私たちは、ついつい自分の力でやろうとしたり、あるいは他人の力を借りようとする。 神様から答えをいただくには、「待つ」と言う心構えが必要とされる。
そしてもう一つは、信じることである。神様を信じ信頼することである。当たり前の ようだが、私たちは、「信じます」と言いながらも、心のどこかで疑っていることが多 い。信仰が、あなたや私を救うのである。
最後に、「に」とは何であろうか。荷物の「荷」である。それは人間関係である。人 間関係でつまずかない人は、ほとんどいない。この荷物はかなり重い。
「お」とは、思い煩い 「も」とは、問題 「に」とは、人間関係
「重荷を負っている人は、私の所に来なさい」と主は言われる。私たちは、その重荷を、 下ろさなければならない。主に明け渡さなければならない。主にゆだねなければならな い。そして、神様の定められた最も良い時に、絶妙のタイミングで、神様は、その答え を下さり、あるいは解決して下さることになる。
そして、その時、あなたや私は、間違いなく今も生きておられる主イエス様に、神様 にお会いすることになる。神様の御手を見ることになる。