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礼拝メッセージ

「神の祝福への熱心」
創世記27章1〜17節

渡邊義明牧師

先日、通信大手KⅮⅮIの通信障害が起きて、大変な混乱が生じました。この原因は今なお究明中とのことですが、電子機器に依存している現代社会の脆弱さを感じました。

ところで、私たちが普段頼りにしているモノや、力を失ったときにでも、それがあれば、すべて完全に大丈夫、というすごい宝物がひとつあるのです。それが神の祝福です。

        

☆ 神の祝福を貪欲に求めたヤコブ

その、目に見えない神の祝福の絶大な価値に、目が開かれていたのがヤコブでした。

ヤコブには双子の兄弟がいて、兄のエサウは、かつて一杯の食物と引き換えに、長子の権利をゆずったほど、俗悪な人でした。(長子の権利とは、父の死後に遺産を他の兄弟の二倍受けられると共に、その家の祭司権などの霊的な祝福をも含まれる権利です。)

それから何年も経ち、父のイサクは老人になり、死ぬ前に自分の祝福を兄のエサウに譲ろうとしたのです。それは、エサウが取ってくる狩りの獲物が好物だったこともあって、エサウを愛していたからであり、また、長男が父親の祝福を受け継ぐことが普通だったからです。

しかし、それは神の御心ではありませんでした。というのは、この双子の母であり、イサクの妻であるリベカは、この兄弟が自分の胎にいるとき、弟が兄よりも強くなり、兄が弟に仕えるようになる、との神の言葉を聞いたからです。しかし、イサクはそのようにリベカが聞いた神の言葉を忘れたのか、軽んじたのか、自分の好みを優先したのか、神の言葉を無視して、エサウに自分の祝福を譲ろうとしたのです。

☆ リベカの工作

 ところが、イサクがエサウに狩りの獲物を取って来なさい、神の祝福を譲ろう、と話していたところをリベカが偶然耳にしたのでした。いや、本当は偶然などというものは、存在せず、すべては神の御手の中で起きていることなのです。リベカはかつて聞いた神の言葉を忘れていませんでしたし、彼女はヤコブを愛していました。このままではエサウに神の祝福が譲られてしまう。それは神の御心ではない。神の御言葉をわたしは聞いたのだから、と、リベカはその話を聞いて、すぐに手を打ちます。ヤコブを呼び出し「今すぐ家畜の群れのところに行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それを持ってお父さんのところに行きなさい。そうすれば、お父さんはエサウだと思って、あなたを祝福するでしょう」と。

しかし、ヤコブは「エサウ兄さんは毛深いのに、自分の肌は滑らかです、お父さんが触ればすぐにばれてしまい、祝福どころか呪いを受けてしまうでしょう。」と躊躇します。

☆ 神の祝福を熱心に求める信仰

 すると、リベカは言いました「わたしの子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、わたしの言うとおりに、行って取ってきなさい。」そして、取って来た子山羊をおいしく料理して持たせ、しまっておいたエサウの晴れ着を着せ、子山羊の皮をヤコブの首と腕に巻き付け、イサクのもとに送ったのです。

 この物語は何を私たちに教えるのか。際立っているのはリベカとヤコブの「神の祝福への熱心」というものです。目に見えない神の祝福に対して、彼らは絶大な価値があることを信じていました。そして貪欲に、狡猾に、不正な手段を使ってまで、神の祝福を求めました。神は、何はともあれ、この神の祝福への熱心を信仰と認め、そして、この後、試練をも与えましたが豊かに祝福されたのです。