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礼拝メッセージ

「 主の祈り①」
マタイによる福音書6章9~10節

渡邊義明牧師

先週は、イエス様が「祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」と教えられたところに注目をしました。また、祈るときは、くどくどと述べてはならない、ともいわれ「だから、こう祈りなさい。」と教えられたのが、いわゆる「主の祈り」と言われ、現在の教会でも引き続き祈られている祈りのお手本です。

神を父と呼ぶ

 「天におられるわたしたちの父よ、」これが「主の祈り」の始めです。イエス様は、神様を「天におられるわたしたちの父」と呼ぶように教えました。聖書には、もの凄いことが幾つも書かれていますが、その筆頭はこれでしょう。天地万物の造り主であり、全知全能なる唯一の神がおられる。その神の独り子であるイエス・キリストを自分の救い主だと受け入れることによって、わたしたちも神の子となる資格が与えられる。

神と親子関係になる、この神を父と呼ぶことができるようになる、ということです。

その父は天におられると言います。では、天とはどこか。空の上でしょうか。宇宙の彼方でしょうか。実に天とは、地に対しての天です。地はわたしたちが住んでいるこの地上です。地は有限の世界であり、目に見え、やがて朽ちてゆく世界です。それに対して天は無限の世界であり、わたしたちの目には見えない霊の世界です。天は地を高く超えた世界であり、わたしたちの思いを遥かに上回る世界です。この地をかけ離れた天に神はおられるのですが、わたしたちはこの方を父と呼んで、親しく交われる奇跡的特権が与えられたのです。

御名が崇められますように

「御名が崇められますように。」これは「神聖なものとして扱われますように」という意味で、他の訳では「御名が聖なるものとされますように。」と訳されています。

ここでいう「御名」とは「神ご自身」のことで、「地に住む人々が、あなたを神と認識して、神聖な存在として畏れ敬いますように。」ということです。地に住む多くの人々は、あなたの存在も、あなたの力も、あなたの聖なる愛も知ることなく、ましてや崇めることなどなく生活しています。それゆえに、人々は隠れたところで罪を犯し、また自分を優れたもの、賢いもの、強いものとうぬぼれて、隣人を見下し、不遜な思いを抱き、陰口を言い、平和を乱し、争いを起こし、悪を伝染させているのです。ですから、人々が天におられるあなたの存在を知り、あなたを崇め、地上に平和が実現しますように。ということです。

 

御国が来ますように

 御国とは天国のことです。この地に天国が来ますように。この地が天国のようになりますように。と言うことです。天国は神の子だけがいる国ですが、この地は違います。神の子と、神の子ではない人が、入り混じっている世界です。天国では全員が神を崇め、神の御心に従って生きているがゆえに神の御心が、つまり神の愛が100%実現しています。

御心が行われますように、天におけるように地の上にも

 これも前の祈りの内容をさらに深めたものです。天におられ、すべてを知り、できないことが何一つないわたしたちのお父様、あなたの聖霊の助けを与えてくださり、わたしたちをキリストの似姿に造り変え、あなたの愛と義を実現するものとしてください。そして、その神の子で、この地を満たし、御心を行い、御国を実現させてください。ということです。