渡邊義明牧師
本日からヨセフの物語に入ります。ヤコブには12人の息子がいました。そのうちの11人番目の息子がヨセフです。ヤコブにとっては年寄り子であったので、どの息子よりヨセフを可愛がりました。しかも、ヨセフは最愛の女性ラケルの生んだ最初の子でした。その後、ラケルはベニヤミンを出産すると同時に亡くなってしまいました。ラケルは顔も美しく容姿も優れていたのですが、ヨセフもそれを受け継いで顔も美しく、体つきも優れていたので今は亡き最愛の妻の面影をしのばせるヨセフを特に愛したのでしょう。
☆ヤコブの偏愛
その特別に愛するヨセフに、ヤコブは裾の長い、美しい晴れ着を作って着せました。
そのことも兄たちには腹立たしいことでした。兄たちからすれば、腹立たしいことでした。ヤコブの家業は羊飼いです。その合間に畑仕事もしていました。ですから兄たちはその野良仕事に適した裾の短い、地味な色の作業着を着せられていたからです。
裾の長い晴れ着を着ていたということは、そのような労働から解放されていたことを表しています。おそらく、普段の生活も異なっていたのでしょう。
おそらく、ヨセフの一日には多くの余暇が与えられていました。そして、その余暇を利用して彼はヤコブから特別に教育を受けていたと思われます。
ヨセフは兄たちが労働に従事している間に、ヤコブから何を教わっていたか。
それはもちろん第一に神についての知識でしょう。
ヤコブはこれまで自分が経験してきた数々の事柄や、先祖のアブラハムやイサク、ノアの箱舟やバベルの塔の話も教え、神を畏れ敬うことの大切さ、また神はご自分を切に求める者にはご自分を現し、またご自分を信じる者には必ず報いてくださることなども伝えたことでしょう。
☆神を見るために
「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい、聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。」著者は2つのことを言っています。1つはすべての人との平和を追い求めよ、もう1つは聖なる生活を追い求めよ、です。これは、イエス様が言われた「心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」と同じ内容です。
すべての人との平和を追い求めるのが真のキリスト教です。ユダヤ教では、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられましたが、イエス様は「敵を愛し、自分を迫害する者のために祝福を祈りなさい。神が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」と教えられたのです。聖なる生活を追い求めるということは、心の清さを追い求めること、つまり、すべての悪意や敵意、憎悪や嫉妬、貪欲や好色、恨みなどの汚れた思いから解放された心を持ち続けて生活をせよ、ということでもあります。そうすれば、神を見るというのです。
☆聖なる者となるために
しかし、私たちの親である神は、私たちが揺るぎない清い心を持つために、あえて試練を与えるのです。心穏やかでいられない状況に私たちを導くのです。私たちが、怒りや、憎しみや、妬みや、みだらな思いに誘惑される状況へと導くのです。それらは、私たちに与えられる鍛錬なのです。あるバスケットボールのコーチは選手を鍛えて上達させるために、あえて雨の中で滑るボールを使って練習するそうです。また、聖書には反面教師が登場します。たった一杯の食物のために永遠の祝福を手放してしまった俗悪でみだらなエサウのようにならないようにするためには、救い主イエスから目を離さないことが何よりも大切です。