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礼拝メッセージ

「逃れの道」
マタイによる福音書2章12〜23節

新年明けましておめでとうございます。といっても、昨年にも増して新型コロナウイルスの脅威が高まった、あまりおめでたくない一年のスタートでしょうか。しかし、神は真実な方であり、わたしたちを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に必ず逃れの道を備えてくださるのです。

イエス様が誕生したときユダヤを支配していたヘロデ王は、政治的手腕にも優れ、都市建設の才能もありました。しかし、王になるためには兄をも殺して王座についたヘロデ王は、その後も王座に執着するあまり猜疑心の塊のようになり、何人もの身内や、家臣をも殺害したような高い能力と残忍な性質をあわせ持つ人物でした。ヘロデ王は、この世的に見れば成功者です。競争を勝ち抜き、大会社の社長どころではなく、壮大で華麗な王宮に住まう王にまで出世し、イスラエルで最高の地位と、富と、力を手に入れたのですから。
しかし東方の学者たちから、ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにいますか。などと聞くと、たちまち不安に陥り、すぐに調べさせて抹殺しようとしたのですが、東方の学者たちが別の道を通って、自分たちの国に帰ってしまったことを知ると、怒り狂い、ベツレヘム周辺の二歳以下の男の子をすべて虐殺したのです。
私たちは何を宝として生きているでしょうか。ヘロデ王の宝は、自らの王座であり、富と力でした。しかし、その宝を守ろうとするあまり常にそれを失う不安のつきまとう一生をおくり、何も信じられることができなくなり、疑心暗鬼にとらわれて自らも狂い、多くの人を殺してしまったのです。
東方の学者たちは御子イエスに出会ったとき、携えてきた黄金、乳香、没薬というこの世の宝を捧げて礼拝をしました。それは、すべての宝にまさる宝に出会った喜びからでした。神が私たちに贈ってくださったまことのそして最高の宝は救い主イエス・キリストなのです。
一方、ヨセフは夢で天使から「エジプトに逃げなさい。ヘロデがこの子を探して殺そうとしている」と聞き、夜のうちに幼子とマリアを連れてエジプトに去りました。「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。」とあるとおり、主なる神は、ご自分を信じ、心を開き、聞く耳のある者をあらゆる試練から救い出し、導いて下さるのです。
しかし、ヘロデ王に殺されてしまった何の罪もない幼子たちの母は嘆くばかりです。かつて、バビロンに滅ぼされ、愛する子が奪われ、虐殺された母の嘆きを預言者エレミヤは語りましたが、その光景に重ねられています。世界に正義などあるのでしょうか。ただ、悪がのさばり、弱者が虐げられるのを神は見過ごすのでしょうか。
しかし、このエレミヤの預言には続きがあります。「主はこう言われる。泣きやむがよい。・・・あなたの苦しみは報いられる。・・・息子たちは自分の国に帰って来る。」エレミヤ31:16〜17
今見ている世界がすべてではない。後の世がある、と聖書は伝えています。しかし、その前にすべての人に神の裁きが臨みます。この世の不条理が一掃され、神の義が現れる日が来るのです。だけど私たちは皆、神の前には罪人です。だからこそ、救い主が必要なのです。この方は、私たちの罪をあがない、裁きから救い出すために十字架につけられました。この救い主こそ、私たちに永遠の命を与えるまことの宝であり逃れの道なのです。