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礼拝メッセージ

「主の道をまっすぐにせよ」
ヨハネによる福音書1章19〜28節

1.預言者ヨハネの証し

ヨハネは預言者でした。預言者とは神の代言者です。証しとは命を懸けて証言をすることです。彼はユダヤの荒れ野で罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えていました。洗礼者ヨハネは、人々の心が神から離れ、罪に染まっていることを鋭く指摘し、悔い改めて神に立ち返るように迫ったのです。
ヨハネの姿とメッセージは民衆の心を打ちました。そして、ユダヤの全土から多くの人々がヨハネのもとに来て罪を告白し、洗礼を受け、神へ心を向け直したのです。なぜなら、根本的な罪とは、不信仰。つまり、神から心が離れることだからです。

2.ユダヤの最高法院の人たちの動揺

しかし、そのような事態を苦々しく見ていた人たちもいました。それは、サンヘドリンと言われるユダヤの最高法院の人たちです。彼らは、大祭司を頂点にした70人の祭司や律法学者や長老たちによって構成されたユダヤにおける最高裁判権を持った宗教的、政治的自治組織でした。主な機能は国民の宗教生活の監督ですが、ローマ当局から一定の権限が委任され裁判を行ったり、直属の警察も持っていました。彼らはヨハネが国中の人々の心を揺さぶっていることを無視できなくなり、調査員を派遣したのです。
実はユダヤでは、そのころ救い主「メシア」の到来への期待が非常に高まっていました。ですから人々は、初め非常にインパクトのあるヨハネの姿を見、言葉を聞き、この人が待望のメシアではないかと思い始めていたのです。しかし、ヨハネは、「わたしはメシアではない」と完全に否定し、「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」と言いました。

3.主に立ち返ろう

まっすぐとは、曲がりくねったり、ひねくれていないことです。また、正しい、とか正直という意味もあります。主なる神との関係を正しく戻しなさい。主に対して素直に正直になりなさい。ということです。
さらに、操縦する、舵取りをするという意味もあります。例えば、大海原で目的地を見失ったり、潮の流れに流されたりしている船の舵をまっすぐに目的地に向け直しなさい。ということです。

「神は人間をまっすぐに造られたが、人間は複雑な考え方をしたがる」コヘレトの言葉7:9

神から離れた人間は、複雑な考え方をしたがり、多くの理屈を捻りだすというのです。しかし、その内実は、真の平安や喜び、希望からは皮肉にも離れて行き、ますます混乱し迷路に入り、滅びに向かって行くのです。

だからこそ、神から遣わされた預言者ヨハネは命を懸けて「主に立ち返られ、主の道をまっすぐにせよ」と、荒れ野で叫んでいたのです。心をまっすぐ神に向けましょう。そして、救い主を受け入れる心の道備えをしましょう。その救い主こそ、私たちに真の永遠の祝福をもたらすことができるからです。