カテゴリー
礼拝メッセージ

「言葉では言い尽くせない喜び」
ペトロの手紙第一1章1〜9節

イエス様の弟子であったペトロが書き記した手紙が聖書に収められています。この手紙が書かれたのはキリスト教徒への大迫害が起こる直前、おそらく紀元63年ごろではないかと考えられています。
悪名高いローマ帝国のネロ皇帝は紀元64年、ローマに起きた大火災をきっかけにキリスト教徒への大迫害を始めました。この火災は未曽有の大火事で、数日間激しく燃え続け、都の建物のほとんどが焼失してしまったそうです。
そのとき「この火事はネロ皇帝によるものだ。都の古い家並みを焼き払って、自分好みの美しい都を新たに造るために放火したのだ。といううわさが町中に広まりました。(そのうわさの真偽のほどは分かりませんが、芸術家気取りで、豪奢なものを愛し、庶民の暮らしには関心をもたない残忍な皇帝だったらしいので、その可能性は高いと思われます。)そこで、ネロ皇帝はそのうわさをもみ消すために、放火の犯人をキリスト教徒になすりつけ迫害をはじめたのです。
当時各地に暮らしていたキリスト教徒たちは周囲の異教的な習慣にならうことを拒んだので人々から奇異の目で見られ、礼拝で彼らは幼児を殺して神に捧げているとか、人の生き血を飲んでいるという悪い風評が流され、市民から白眼視されていましたので、ネロはそれを利用したのです。
このペトロの手紙はやがて来る大迫害を予告するかのように、また周囲の無理解や偏見による中傷、疎外といった迫害の中にいたキリスト教徒を励ますために書かれたのです。

まずペトロは、神はあらかじめ立てられた御計画に基づいて、信じる者を選び、キリストの血を注ぎかけて聖なる者とするというのです。

キリストに従いキリストの血を注ぎかけていただくとは、旧約聖書において、イスラエルの民と神が契約を結ぶとき、あるいは民の罪を贖うときに聖所でいけにえの動物の血を振りかける儀式を踏まえて言われたことです。つまり、キリストを信じる者はその十字架の血潮を注がれた者とされ、神との契約が結ばれ、また罪が贖われることを表しているのです。

また、それは聖霊が注がれることを象徴的に示しています。それは信仰の報いであり、天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者の印です。

受け継ぐ財産とは天の御国のことです。キリストを信じて神と契約を結び、罪の赦しを受けた者は、終わりの日に現わされるように準備されている天の御国を受けるために、神の力によって守られるのです。そしてその神の力は、ただ信仰をとおして働くのです。

そのような言葉に言い尽くせない素晴らしい財産が、準備されているとはなんという希望の約束でしょうか。この地上に生きる限り、様々な試練があり、そのために悩み、苦しみ、嘆くときもあります。しかし、そのような試練をとおって、私たちの信仰は本物と証明され、火で精錬される金よりもはるかに尊く、キリストが現れるときに称賛と光栄と誉れとをもたらすというのです。
そしてこれも、言葉に言い尽くせない喜ばしい希望なのです。