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礼拝メッセージ

「人を憐れむ神」
創世記21章9〜21節

 この時アブラハム一家が住んでいたイスラエルの南部は、年間を通して雨がほとんど降らない半砂漠でした。神は長い忍耐の時を与えたのち、約束通りアブラハムとサラにイサクを授けました。やがて、イサクは育って乳離れしましたが、アブラハムの家には、もうすでに女奴隷ハガルとの間に産まれたイシュマエルという男の子がいました。そのイシュマエルが幼い我が子イサクをからかっている(いじめている)ところを、サラが見たのです。

イシュマエルは15,6歳になっていましたので、自分が奴隷であり側女の子であること、またイサクが跡取りであることを意識して、嫉妬していたのかも知れません。

もちろんサラは怒り、「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎになるべきではありません。」とアブラハムに強く訴えたのです。

☆ 主はワンダフルカウンセラー

 アブラハムは悩みました。なぜなら女奴隷の子とはいえ、自分の子であったからです。

「サラの気持ちはわかる。しかし、あの親子を自分たちの天幕から追い出したら、荒れ野で野垂れ死にをするに違いない。」と思ったのでしょう、決断ができなかったのです。そのように、苦悩していたアブラハムに、神は助けをあたえました。

その助けとは「助言」でした。イエス・キリストのことをイザヤ書9:5で英語では「ワンダフルカウンセラー」と、また新改訳聖書では「不思議な助言者」と言い表しています。主イエスは私たちが決断に悩み、苦しむとき、助言を与えて、苦悩から解放してくださる、不思議な助言者、ワンダフルカウンセラーなのです。神はアブラハムに言いました。

「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。

あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」

☆ 神は憐み深いお方

アブラハムは主の助言を聞き、思い悩むことをやめて、主の言葉を信じて、水の革袋とパンを背中に負わせ荒れ野に送り出したのです。主の御手に委ねたのです。しかし、やがて革袋の水が無くなり、生きる希望も無くなり、ハガルは子供を一本の灌木の下に寝かせ、

「わたしは自分の子供が死ぬのを見るのは忍びない。」と矢の届くほど離れて座りこみ、

なすすべもないまま、互いの姿を遠くに見て二人は声を上げて泣いていたのです。

 しかし、神は彼らを見捨てることはありませんでした。神は憐み深く、約束を守られる真実かつ全能なるお方なのです。

 

☆荒れ野で目を開き井戸を見つけさせてくださる神

 子供の泣き声を聞き、神はアブラハムのゆえに彼らを憐み、出会ってくださり、イシュマエルを守り、将来、大きな国民の王と成る約束をしたのです。そしてハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけました。

 神はご自分の民が、荒れ野の中で泣く声を聞き捨てにはなさらず、目を開いて、泉を見出させてくださいます。私自身、これまで何度も荒れ野のような状況の中にあっても、目を開いて泉を見出させてくださいました。二浪中に大阪芸術大学を、天職を求めていたときに、海外放浪の期間を、何よりも、鬱で苦しんでいた時に、聖書を通して生ける神、キリストとの出会いを。この方との出会いこそ、人生の荒れ野で尽きぬ泉に出会うようなものです。

主は憐み深く、私たちを真に生かす、希望、平安、喜び、愛を常に与えてくださるのです。