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礼拝メッセージ

「平和を与える主」 創世記26章23〜33節

渡邊義明牧師

ウクライナの戦争は長引く、との専門家による見解が示されています。また、これまでにないほど核戦争の脅威が高まっているとも言われています。そのような中にあって、聖書が示す平和、ということについて改めて注目してゆきましょう。

☆ 平和についての名言

歴史上の偉人たちの平和についての名言があります。

黒人差別と闘った公民権運動の指導者、マルティン・ルーサー・キング・ジュニア

「闇を闇で追い払うことはできないが、光だけがそれを可能とする。憎しみを憎しみで追い払うことはできないが、愛だけがそれを可能とする。」

非暴力によるイギリスからの独立運動を指揮したインド独立の父、マハトマ・ガンジー

「『目には目を』という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる」

「非暴力は暴力よりも無限に優れているし、赦すことは処罰するよりも遥かに男らしい。」

インドの最貧民のためにホスピスや児童養護施設を開設し、生涯尽くしたマザーテレサ

「平和は微笑みから始まる。」

古代ローマ帝国末期に生きたキリスト教教父のアウグスティヌス

「主よ、私たちの心はあなたの内に憩うまで、真の平和を得ることはできないのです。」

☆ 平和を追い求めたイサクに現れた主

アブラハムの死後、イサクは多くの羊や牛、召し使い、井戸、そして何よりも主御自身を、遺産として受け継ぎました。しかし、主の祝福を受けたことにより、その土地に住むペリシテ人のねたみを買い、幾つもの井戸が土で埋められてしまいましたが、イサクは何度でもその井戸を掘り直しました。そして井戸から水が湧き出ると、その井戸も奪われましたが、イサクは争わず黙々と井戸を掘り直し、とうとう、ペリシテ人も争いを挑むことをやめ、イサクはようやく広い場所(自由)を見いだしたのです。  

イサクはさらに歩みを進めましたが、その夜、主が現れて言われました。

「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす。わが僕(しもべ)アブラハムのゆえに。」

新約聖書に「すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、誰も主を見ることはできません。」とありますが、すべての人との平和を求める生活は、つまり聖なる生活であり、それは、人と争わず、侮られても怒らず、理不尽な目にあっても主を信頼して忍耐強くなすべきことをし、敵をも寛容な心で赦す、ということでしょう。その生き方を追い求めてゆくときに、私たちもまた、主を見ることができるのです。

☆ 時が来て、完全な平和を得たイサク

そこにペリシテ人の王、アビメレクがイサクのもとにやってきて、互いに平和の誓約を結びましょう、と申し出たのです。自分から追い出しておきながら、イサクには主が共にいるということがはっきりとわかると、手の平を返したように和解を申し出てきたのです。

しかし、そんなアビメレク王をイサクは赦し、祝宴を催して歓待し、平和誓約を結びました。ここにもイサクの寛大さが表れています。その日、水が湧き出た井戸はベエル・シェバと名付けられました。シェバとは7という意味もあります。7は聖書では完全を表します。主の与える平和はヘブライ語で「シャローム」と言い、精神的、物質的、個人的、社会的に満たされている状態を意味します。イサクは謙遜に主に従い、完全なシャロームを得たのです。