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礼拝メッセージ

「主のご昇天の恵み」
エフェソの信徒への手紙4章1〜16節

石丸泰樹牧師(根津教会協力牧師)

主は、ご復活後、40日目に「弟子たちの見ているうちに、天に上げられた(言行録1:3,9)と記されています。「四十」は完全数。(聖なる期間の例「出エジプト16:35~40年、34:28~40日、エリヤのホレブへの 王上19:8,40日)主イエスはご自身が「生きておられることを、昇天までの期間限定で顕現して」証されたことの大切な記録として40日としたのです。復活の主、復活の永遠に生きる主は食事を必要とされませんが、弟子たちと共に食事をすることによって霊肉共に生きておられることを示されたのです。数多くの証拠をもって使徒たちに示された(証拠:テクメリオンー確証、証拠“アリストテレスの弁償術等で論理的に、動かぬ証拠をもって説得すること)。復活の主は、幻影や魔術ではないことを論理的に明確に証言し、弟子たちも理性と愛をもって福音を全世界に宣教して行きます。主は、「神の右におられる」ことを弟子たちが確信をもって、証言できるように昇天によってその心に刻印されました。「主の昇天」は、弟子たちへの祝福であり、大きな喜びでした。(ルカ24:52)

主が天におられるので、人は全世界のどこからでも礼拝を捧げることができ、また祈ることができるのです。地上に「聖地」はありません。天地創造の神様はこの地球を祝福されました。置かれた所で、根を降ろすのです。復活の主が教会の上で、伝道を導き支えて下さり、主の救いのみ業に参加させてくださるのです。天の喜び!失われた一匹の羊を見出す大きな喜びに預からせてくださるのです。

教会の小さな工夫や努力を主イエスが祝福して、大きな働きの実りと喜びへと導いて下さいます。

マタイ28:19~20 に「すべての民、全世界の人々に宣教し、洗礼を授け、命じておいたことをすべて守るように教えなさい」と主イエスが厳かに命じられたとあります。洗礼を受けたものへの人生訓です。

「謙遜、柔和、寛容、愛、忍耐、平和、一致」以上「七つの勧め」は、主キリストと共に生きる喜びの道しるべなのです。「高ぶらない(謙遜)」は神の栄光の前に立ち、自分の真の姿に気付いた正直な気持ち。神の被造物であるという認識です。卑屈にならず、喜びをもって仕える、一に謙遜、二に謙遜、そして三に謙遜に、日々を生きるのです。

この手紙の1章1節で「キリスト・イエスの使徒」と自己紹介を書いたパウロは、3章1節とこの4章1節では「キリスト・イエスの囚人」と書いています。8節は詩編68:18~19 の引用です。戦勝の王が配線の捕虜、奴隷、分捕り物を従えて、高いところにある都に外線して上っていく様子ですが、実はパウロはこれを言い換えました。輝く王の城から、罪の闇の世界に降りてこられた救い主が、罪と死に捕らわれていた全人類を救い出し、案内して、王の都に上り、招いた一人残らずに賜物を分け与えられる、というのです。

神の家族とされたパウロの兄弟子のアナニアが、一切の偏見を捨て、自分の上に手を置いて「兄弟サウル、見えるようになり、聖霊に満たされ世(使徒言行録9:17)」との宣言をして下さった。そして今、「頭であるキリストに向かって成長していく(4:15)」自分であることを、父・子・政令なる神様に、キリストの体なる教会に、兄弟姉妹に心から感謝し、共に讃美をささげているのです。