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礼拝メッセージ

「命の木」
創世記3章

渡邊義明牧師 

今年の3月末に次のようなニュースが報じられました。それはベルギー在住の地球の気候変動に心を痛めていた30代の男性が、デジタル空間に作り出されたAIキャラクターであるイライザに悩みを相談しているうちに、イライザによって言葉巧みに自殺に誘導されたというものです。恐らくイライザは、彼が自殺をすることが最善な答えだと判断して、彼を死に導いたのでしょう。確かに人口を1人でも減らすことが地球温暖化には最善の解決策なのでしょうが、人間の生み出したAIの高い知能と無慈悲な仕業に背筋が寒くなりました。

☆善悪の知識の木

 主なる神は、ご自分に似た者として人を造り、エデンの園に置かれ、園の中央には命の木と善悪の知識の木を生えいでさせて命じました。「園のすべての木の実を食べてよいが、善悪の知識の木の実だけは食べてはいけない。食べると必ず死ぬ。」と。

すると蛇が女に近づいて来たのです。蛇とは死への狡猾な誘惑者の象徴であり、神に背くサタンを表します。人は誰かに命じられることに対して、それがたとえ神であっても、反発心や不満を抱く存在なのでしょう。神の命令に対する、かすかな不満や神の裁きに対する軽視と度を越えた欲望。蛇は女の言葉から心の奥底を鋭く読み取り、巧みに誘惑してきたのです。

そして、彼らはついに善悪の知識の木の実を食べてしまいました。

すると、確かに彼らの目は開きましたが、その時はじめて彼らが知ったのは「恥」であり、また「恐怖」だったのです。

☆人間の知性を絶対視すると出現するディストピア

「人は我々の一人のように、善悪を知るものとなった。」と神が言われたのは、人間が自分を神のように考え、物事の善悪の判断をする者となった、ということでしょう。

しかし、それがなぜ、死に値する罪なのか。

人間が自分を善悪の判断をする基準にするとき、概して自分を善と考え、反対する者を悪と考えます。自分にとって都合の良いものを善とし、嫌いなものや不快なものを悪とします。自分の損得勘定で善悪を判断します。戦争をするときは自分の国を善と見なし、相手国を悪と見なします。

1789年フランス革命が勃発し、民衆は土地や財産、権力を占有していた王侯貴族や、聖職者に対して抗議を行いました。確かに教会では汚職や腐敗もはびこっていたので民衆の抗議には、もっともなところもありました。しかし、教会に向けられた民衆の怒りはエスカレートし、全フランスの教会が破壊され、あるいは「理性の寺院」に変えられ、十字架の代わりに自由と理性の女神像が置かれ、神の代わりに人間の理性と自由を絶対視するようになり、その結果、約3万人の司祭が追放され、数百人の聖職者が殺害されたのです。

ドイツのナチスはユダヤ人ばかりでなく、障がい者や、精神疾患者、ホームレスや同性愛者を国家にとっての悪と考え、約30万人もの人々を殺害しました。また人間の知性によって創り出した共産主義を絶対善とし、信奉するようにしたソ連では、共産主義の反対者とされた約2千万人もの人が、悪と見なされ殺害されました。

☆楽園に生えている命の木

神は命の木を楽園に生えいでさせましたが、神に逆らい、神を軽視する心を持ったままの人間が命の木に近づくことを許さず、ケルビムときらめく剣の炎により道をふさぎました。

命の木とは永遠の命の象徴です。キリストは2千年前、私たちの罪のため十字架にかけられ、殺されましたが、三日目に復活しました。キリストは私たちの先駆者として十字架の死を経て復活したことにより永遠の命への道を開いてくださったのです。

命の木の実は、人間の理性を超えた神を信じる信仰により、初めて得ることができるのです。