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礼拝メッセージ

「命のパン」
ヨハネによる福音書6章30~40節

渡邊義明牧師 

昨夜から降り続く雨の音を部屋の中で聞いていたら、かつてホームレスだったときに、雨宿りをしていた工場の軒先で、雨を見つめながら図書館が開くのを待っていたことを思い出して、現在与えられている神の恵みに、しみじみと感謝しました。

しかし、ともすれば人は今与えられている恵みに盲目になり、感謝の代わりにむしろ不満を抱きがちな者であること、また、人は神が与えようとしている永続的な幸いよりも、目先の欲望に惑わされ、神の祝福を失ってしまうこともあることを聖書は警告しています。

☆荒れ野で滅ぼされた貪欲な民

 エジプトで奴隷であったイスラエルの民の嘆く声を聴き、神はモーセを通して奇跡を行ない、民を脱出させ、約束の地カナンまで行くことを示しました。

その旅の間、神はマナという食べ物を天から与え、民を養いましたが、民の中のある者たちは、道の途上で激しい欲望にかられ、毎日マナばかりで飽き飽きした。もっと美味いものを食わせろ、こんなことならエジプトにいたほうが良かった。とモーセに不平をぶつけたところ、神の怒りを買い荒れ野でその大部分が滅ぼされたということが記されています。

それは、私たちが貪ることのないように私たちを戒める前例として描かれているのです。

群衆は、自分たちの肉の欲望を満たす救い主としてイエス様を見ていたのに対して、神は私たちの霊と魂と肉を満たす存在としてキリストをこの世にお遣わしになったのです。

☆まことのパン

 「わたしが神から遣わされた者であることを信じることが神の求める業(わざ)である。」と、イエス様が人々に言ったとき、彼らは「それでは、私たちが見て、あなたを信じることができるようにどんなしるしを行ってくださいますか。」と迫りました。

彼らは前日にパンと魚の奇跡(しるし)を体験したのです。なのに、それでは物足りないとでもいうように、もっとすごい奇跡をいつもください、とイエス様に要求したのです。

モーセはかつて私たちの先祖のために荒れ野でマナを天から降らしました。そのようにあなたも天からのパンをいつも降らせてくれたら、あなたが神から遣わされた者だと信じましょう、と言うわけです。

しかし、イエス様は「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降ってきて、世に命を与えるものである。」

と言われたのです。まこと、とは真理のことであり、永遠に不滅のほんとうのこと、という意味です。イエス・キリストこそ永遠になくならない神のパンなのです。

☆永遠の命を与える天からのパン

 また「わたしが命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」と続けて言われました。

確かに食べ物や、食べ物に象徴される物質は私たちに必要です。しかし、そればかりが私たちの命を保障するものだと思い込んで、もっと、もっと、と追及してゆくなら、決して私たちは満たされることなく、かえって貪欲という罪に陥ります。

わずか手の幅ほどの生涯と永遠を思う心を与えられた私たちを満たすものは、イエス・キリストを信じるときに与えられる永遠の命の約束であり、神と共に生きるという実感です。

命のパンを食べるということは、真理であるイエス・キリストを信じることに他なりません。