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礼拝メッセージ

「破滅からの救い」
創世記19章1〜29節

モンゴルからやってきた白鳳は相撲界の記録を塗りかえるような戦後の相撲界の金字塔を打ち立て、また人々からも大変に人気のあった力士でありました。しかしその一方、異国 である日本で生きるためには様々な人知れない苦悩があったそうです。特に日本の国技である相撲の世界の頂点である横綱には、相撲の強さだけではない「横綱の品格」が求められる、ということで悩みました。ある親方は「人と同じことをちゃんとやることだ。」と教えました。確かに人のふり見てわがふり直すことは大切なことですし、大いに学ぶところもありますが、聖書は主イエスを知ることによって実る品性と、罪からの救いを教えます。

☆ ロトに救いの手が伸ばされた

アブラハムのもてなしを受けた旅人(実は御使い)がソドムの町にたどりついたのは夕暮れ時でした。門のところにいたロトは彼らを見かけると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して歓迎の意をあらわし、自分の家に招きました。彼はアブラハムと暮らした時に身に着けた謙遜さや礼儀、また難儀している人への寛大な愛を、まだ失ってはいなかったのです。

ロトは彼らをもてなし、和やかな夜は更けてゆきました。しかし突然、町中の男が老いも若きも皆集まって、「お前の家に泊めた連中を出せ。なぶりものにしてやるから」と、家を取り巻き、わめきたて始めたのです。 ロトは客を守るために表に出て、と必死に客を守ろうとしますが彼らはおさまらず、むしろよそ者でありながら町の指導的立場に座していたロトに対する日頃の妬みと欲求を邪魔されて敵意をむき出したその絶体絶命の時に神の憐みの手が伸ばされました。旅人に扮していた御使いは、ロトを家の中に引き入れ、野獣と化したソドムの連中に強い光線を発して目を見えなくして、ロトたちを守ったのです。

☆ ロトから聞いた御使いの言葉を信じなかった婿たち

旅人はロトに、自分たちは主の御使いであること、そして、ソドムに対する大きな叫びが主のもとに届いたので、主はソドムの町を滅ぼすために自分たちを遣わしたのだ、だから、身内のものを皆連れてここから逃げよ、主がこの町を滅ぼすからだ、と告げました。

ロトは娘の婿になる者たちのところに行き、御使いから告げられたことをすべて伝え、「さあ、早くここから逃げよう。」と促しましたが、婿たちはそれを冗談だと思って信じませんでした。ここに描かれている光景は、実は現代にもノアの時代にも共通するものです。神がノアに語られた、やがて大洪水が起きるという言葉を、周りの者は信じずに、結局その日が来て、皆滅ぼされてしまいました。この地にもやがて、主の日が盗人のように来ます。 それは大いなる裁きの日です。裁きとは、有罪と無罪が、救いと滅びがはっきりする、ということですが、実は私たちは皆、神の前では裁きを受けるべき罪人だと聖書は告げています。

☆ どこまでも届く憐み深い主の救いの御手

ロトの言葉を信じない婿たちは町を出ようとはせず、ロトは出発をためらっていました。明け方まで決断のできなかったロトに、また主の救いの御手が伸びました、ロト、ロトの妻、二人の娘の手を二人の御使いがそれぞれつかんで町の外に連れ出したのです。主は自分の選んだ民が迷ったときにも御手を引いて導かれます。その後ロトの妻は後ろを振り返ってはいけないと言われていたにも関わらず、振り返ってしまい塩の柱になってしまいました。主の裁きは真に厳粛です。だけど誰がそのような主の厳粛な裁きに耐えられるでしょうか。しかし主は弱く罪深い私たちを憐れみ、新しく救いの道を与えてくださいました。それは、主が遣わした御子イエス・キリストを信じることにより与えられる救いです。「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。」 ローマ8:1 キリストに結ばれるとは、キリストを信じることなのです。