現代社会は、機械の発達により、私たちの生活は大変便利になりました。自動車の出現により、自分の足を使うよりも、はるかに早く、遠くに移動することができ、モノや人も大量に運ぶことができるようになり、スマホができたことにより、自分の頭で考 えるよりも、画面にタッチすれば一瞬で大量かつ、正確な情報を得られるようになりました。
たしかに便利で快適ではあるけれど、その反面、自分自身の力というものが失われつつあるのではないかと危機意識を感じています。実際、車社会の進んだことにより人は歩かなくなり、様々な健康被害が起きているし、スマ ホを使いすぎることで思考力や記憶力などにも悪影響が起きているとの報告もあります。便利で快適で優れたもの、美しいもの、かっこいいもの、強いもの、賢いもの、楽しいものにわたしたちは心を惹かれます。それは、当然と言えば当然のことです。しかし、ここに思わぬ落とし穴もあるのです。私たちは目に見えるそれら魅力的なものに頼るあまり、いつのまにかそれらに依存し、支配されてしまい、本来もっていた力も奪われてしまうのです。
ゆえに聖書は私たちに警告しています。目に見えない神の存在があり、神に依り頼むことによってのみ、人は永続的で色あせない喜びや平安、また善く生きる力も受け続けることができるのだ、と。また、目に見えるものはすべて私たち人間も含めて、神による被造物であり、人間の手により造られるいかに素晴らしいものも、もし、祝福の源である神から離されるなら、その素晴らしいものは悪魔の誘惑となってしまうのだ、と。
被造物に心を奪われ、創造主である神を忘れ、神から離れることは偶像崇拝という罪に陥ることなのです。
☆ 主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
聖書は目に見えない主なる神の存在と共に、目に見えない悪魔の存在を私たちに伝えます。悪魔は暗闇の世界の支配者であり、神に敵対し、人を滅びに導く霊的実在です。この悪魔こそ、エバを誘惑して神に対する疑いを抱かせ、欲望を刺激して神に背くように仕向けてエデンの園から堕落させ、敬虔なヨブに様々なつらい試練を与えて神を呪わせようと働きかけ、イエス様をも様々な手で誘惑をし、神から離反させて自分に従わせようとしまし た。そして、この悪魔は今も人間を、特に信仰者を神から離反させようと常に狡猾かつ執念深く働いているのです。
この目に見えない悪霊こそ、私たちの真の敵であると、使徒パウロは伝えます。このとき彼は獄中に入れられており、最も無力な状況でした。しかし、彼は言うのです。「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」と。主に依り頼みとは、主のそばにあって、とか、主の中にあって、ということです。キリストにしっかりと結ばれて、その無限なる力の泉から、いつもあなたがたは、偉大な力を汲み出し、その偉大な力によって強くなりなさい、と。
☆ 神の武具を身に着けよ
悪魔という霊的な敵に対するに、無防備でいるならば、それはあなたを食い物にしようと狙っているライオンの中に丸腰で入ってゆくようなものだと。だから真理の帯、正義の胸当て、福音を告げる準備の履物、信仰の盾、救いの兜、霊の剣を身に着けよ、と教えます。
☆ キリストを着よ
キリストを着るということは信仰によってキリストとしっかりと結ばれることを意味します。それは神の武具を一揃い身に着けることであり、悪魔に勝利する必須条件なのです。