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礼拝メッセージ

「東方の学者たちの訪れ」
マタイによる福音書2章1〜12節

西暦はイエス・キリストのご誕生の年を中心に、BC と AD に分かれていますが、BC とはビフォークライスト(キリスト以前)、AD はアンノドミニ(主の年に)の頭文字の略語です。しかし、最近は BC と AC つまり BC はビフォーコロナ、AC はアフターコロナという言葉が出てくるほど、コロナ以前とコロナ後の世界は大きく変化したということです。多くの会社の業務がテレワークに切り替わったり、これまでは頻繁に海外出張をしていたような仕事もインターネット上で済ませるようになったり…。

人間社会はこれまでも戦争や疫病や発明や発見などにより、いくつもの大きな変化を経験してきましたが、それだけでなく、私たち個人の人生においても、様々な出会いや出来事などを通して変化を経験してきました。そして、変化にたいしては主に二つの反応があると思 います。一つは過去に執着せず、未知な新しい状況をも勇気を出して受け入れる態度。そしてもう一つは、過去に執着し、あるいは未知なる事態を恐れて拒む態度です。

☆ 変化を拒んだヘロデ王

キリストが誕生したときのユダヤの王はヘロデでした。ヘロデ王は非常に猜疑心の強い人物で、自分の王座を狙っているのではないかと親友や多くの家臣、また前妻や三人の息子をも疑い、残忍に殺害したので、皇帝アウグストゥスすら「余はヘロデの息子であるよりは豚に生まれた方が良い」と語った逸話が残っています。(豚をユダヤ教徒は食べないので、殺される心配がないから。)

そんなヘロデ王のもとに東方から占星術の学者たちが、はるばるやって来て「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でそ の方の星を見たので拝みに来たのです。」と言ったものですから、ヘロデ王はたちまち不安に陥りました。なぜなら、それは自分が王座から失墜することに他ならなかったからです。彼は平静を装いつつも、ひそかに心の中で、御子の殺害を決心しました。ヘロデ王はユダヤ人の王という地位に執着したことにより、変化を受け入れることができず、神が遣わした救い主の抹殺を企てたのでした。

☆ 神を求める者に出会ってくださる

東方から来た占星術の学者たちとは、ペルシャの祭司階級マギと呼ばれる人たちでした。彼らは現代で言えば、天文学や科学を含む当時の最高の知識を身に着けて、王のそばに仕えるエリートでした。しかし、彼らはユダヤ人の王の星が現れるのを見たからと言って、遠いペルシャから何週間もかけてエルサレムまで、はるばるやってきたのです。

この星とは神の啓示の光というものでしょう。啓示とは神が自らを〈ひらき示すこと〉。つまり、それまで隠されていた神の存在を神の側より人間に現すことを意味します。そして、キリストのもとへ導くこの星は、彼らの探求心というものかも知れません。 彼らは世界中の書物にも通じていたので、旧約聖書を研究する中でユダヤ人のまことの王、すなわち救い主メシアを知り、その真摯な探求の中で神が啓示の光を与えられたのでしょう。神は御自分を求める者に出会い、探すものには御自分を現してくださるのです。

☆ 別の道を通って帰った

星に導かれてやってきた東方の学者たちは、ついにキリストに出会い喜びにあふれました。そして黄金、乳香、没薬という高価な宝物を贈り物として御子に献げて礼拝をしたのです。しかし、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰ってゆきました。道には生き方という意味もあります。ヘロデは救い主を拒み、恐れと憎悪に支配される人生を生きましたが、探求の結果キリストに出会った彼らは、これまでの生き方から救い主を信じて生きる生き方に変化し、喜びにあふれて帰って行ったのです。