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礼拝メッセージ

「ヘロデの罪」
マルコによる福音書6章14〜29節

オスカー・ワイルドが書いたサロメという戯曲があります。その中で預言者ヨハネの首が切られ、盆に載せられて登場する非常にショッキングな場面がありますが、その戯曲は今日の聖書箇所をもとにして作られたものです。

☆ 人を恐れずに神の言葉をまっすぐに語った洗礼者ヨハネ

ガリラヤの領主ヘロデ王は、フィリポという異母兄の妻であったヘロディアと不倫関係に陥り再婚をしておりましたが、兄弟の妻を娶るということは律法では許されないことでした。しかし、誰もヘロデ王に対して、批判をするなどということは恐ろしくてできません。ただ、洗礼者ヨハネだけはヘロデの罪を民衆の前で責めたのです。なぜならヨハネが人を恐れず、神だけを畏れる神の人、つまり信仰者だったからです。

しかし、そのようなヨハネをヘロデ王は見過ごすことはできず、人をやって捕らえ牢につなぎました。ヘロデ王は、このままヨハネが自分の罪を責め続けるなら、民衆を治めることができなくなると恐れたのです。

☆ 悪魔にとっての良い機会

へロディアという女性は上昇志向が強く、権力をこよなく愛した貪欲な野心家でした。王妃という、女性としては最高立場を得た彼女にとって、自分たちの結婚を不法だと指摘するヨハネは邪魔者以外の何物でもありません。彼女はヨハネを恨み、すぐにでも殺してしまいたかったけれど、できませんでした。なぜなら、夫のヘロデ王がヨハネを正しい聖なる人であることを知り、彼を畏れ、保護し、またその教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからなのです。

おそらく、他に誰もいない部屋でヘロデ王はヨハネと出会ったと思われます。なぜなら、ヘロデ王は非常に自らの面子を重んじる人であり、誰をも恐れず率直に語るヨハネの言葉を誰にも聞かれたくなかったことでしょうから。しかし、そこでヘロデ王は知ったのです。ヨハネが正しい聖なる人であることを。

きっとヘロデ王の周りにはいつも多くの人がいたことでしょう。だけど、皆ヘロデ王を恐れておべっかを使うような人ばかりだったのではないでしょうか。たとえ、腹の中では王を嫌っていたり、憎んでいても誰も本心など明かさなかったはずです。相手は権力者であり下手をすると殺されてしまいますから。また、周りの人々の中には陰謀を企て、ひそかに王座を狙っている人もいたでしょう。そのように、互いを疑い、誰も本心など明かさない人間関係の中で生きていたヘロデ王は、初めて自分を恐れもせず、まっすぐに真実な神の言葉を語る人に出会ったのです。それは不 思議なよろこびでした。しかし、同時に当惑しました。彼はヨハネの言葉の正しさを認めながらも、様々な状況を予想して、迷いに陥り決断できなかったのです。

☆ 神の機会、悪魔の機会

ところが良い機会が訪れました。それはヘロデ王の誕生パーティーの席でのことでした。 へロディアの娘サロメがやってきて踊りを踊ったところ、客から大喝采を受けたのです。王が上機嫌になり「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前の望みなら国の半分でもやろう。」と固く誓ったことを知ったヘロディアは、すぐに「洗礼者ヨハネの首を」とサロメに言いつけたところ、王は非常に心を痛めましたが、誓ったことではあるし、客の手前、前言を撤回することは体裁が悪くてできず、ヨハネの首を切ってしまったのです。

悪魔にとっての良い機会があります。だからこそ、私たちはせっかくの神の言葉を聞きな がらも決断できず、救いの機会を逃して滅びの道に陥ったヘロデ王のようにではなく、今、この機会に神の言葉を信じる決断をして救いと命の道を歩む者となりましょう。