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礼拝メッセージ

「アブラハムの執り成し祈り」
創世記18章16〜33節

先日、関東地方は震度5の地震に見舞われました。「天災は忘れたころにやって来る」とは、関東大震災を経験された物理学者であり随筆家でもあった寺田寅彦氏の言葉だそうですが、「自然の長いサイクルと人間の寿命ではギャップ があるのだから、この難を避ける唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するほかないであろう。」とも語られました。

過去の記録の中で最大のものは聖書です。また聖書は特別な本であり、過去の記録だけではなく、今に生きる私たちにも語り、そして私たちの未来に関しても語っています。

☆ 天使から未来を打ち明けられたアブラハム

旅人として現れた天使たちをもてなしたアブラハムは、その後ソドムを見下ろす小高い丘まで彼らを見送りました。その時、主の代理人である天使たちは、これから起こることについてアブラハムに打ち明けたのです。それは、対照的なふたつの預言でした。 一つは神を信じ、神と共に歩んできたアブラハムについて大きな強い国民となる祝福の宣告、もう一つは神に背き、神を無視していたソドムの住民に対する裁きの宣告でした。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。」とありますが、罪とは 誰かを苦しめるものでもあるのでしょう。「叫び」とは法律用語で、非常な不公正に苦しむ者が救いを求める訴えという意味ですが、彼らの罪は性的な不品行や富への貪欲からの搾取に苦しめられている人々の叫びが神に届いたのです。しかし、神の友となったアブラハムには大いに祝福された未来を告げたのです。

☆ 神の友となるということ

朱に交われば赤くなるとのことわざもあるように、良くも悪くも私たちの人生は友から大きな影響を受けます。また、友により勇気を与えられたり、喜びを味わったり、様々な経験をします。嬉しいこと、楽しいこと、悔しいこと、悲しいこと、寂しいこと。その中でも 『「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。』ヤコブ 2:23 との御言葉があるように、聖書は天地万物の造り主である神を信じることによって、神の友となるという計り知れない恵みを教えています。神の友となるほど素晴らしいことが他にあるしょうか。神が友となってくださることほど力強いことはありません。そして、これはおとぎ話などではなく、実際に実現する事実なのです。もちろん私だけではなく、古今東西、 星の数ほどの証言者がいます。神が友となってくださり、信じる者の祈りに応え、どのようなときも決して見離さず支え、守り、導いてくださる恵みを誰もが体験できるのです。

☆ アブラハムのとりなし

自分に対する祝福の予告と、ソドムに対する裁きの宣告を天使から聞いたアブラハムは、「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。」と、そして、さらに四十五人、四十人、三十人、二十人、十人の正しい者がいれば滅ぼさないでください、と主に願い始めました。

アブラハムは甥のロトとその家族がソドムに住んでいたことから、彼らを救うために必死になって裁き主なる神に赦しを乞うた、つまり、間に入ってとりなしをしたのです。 これはアブラハムのロトへの愛の表れであり、また神の友であったからこそできた事でした。神と人との間に入ってとりなしをする存在が祭司ですが、アブラハムはここで祭司の役割をしています。しかし、まことの大祭司こそイエス・キリストです。私たち全ての人間のため に今も天において、とりなし続けてくださっているのです。