ファリサイ派に属する議員であったニコデモは、ある夜、イエス様のところを訪れました。ファリサイ派とは学者階級で、律法を研究し、民を指導する教師たちであり、議員とはサンヒドリンという最高法院の構成員のことで、王族や上流祭司、特に学識の高いと認められた学者たちから70人から成る当時のユダヤ社会のエリートでした。ところが、様々な神の子としてのしるしを現したイエス様を、民衆が信じるようになってゆくと、彼らはイエス様に対する憎悪を燃やし始めたのです。ところが、ニコデモはねたみや憎悪に汚されていない真の求道心を胸に秘め、人目を忍び、夜、イエス様を訪れたのです。
☆ 人は二度生まれることにより永遠の命を得る
イエス様はニコデモの心の中に真実な求道心のあるのを認められて言われました。
「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
「新たに」とは「もう一度」ということであり、「神の国を見る」ということは「神の国に入る」ということで、それは「永遠の命を得る」と同じ意味です。すでに老境にさしかかっていたニコデモは、では新たに生まれるためにはどうすればよいのですか。もう一度母の胎内に入って生まれることなどできませんよ。と戸惑ってしまいます。すると、イエス様は「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。・・・風は思いのままに吹く。・・・霊から生まれた者も皆その通りである。」
と言われました。
☆ 二度目に生まれるのは霊によって生まれること
私たちは、誰しもが肉によって生まれるものです。男女の関係を通して、母の胎内から肉体として生まれます。しかし、イエス様は水と霊によって生まれなければ神の国に入ることはできないと言われました。それは、洗礼を表しています。ただし、形式的に水の洗礼を受けるだけでは不十分であり、聖霊による洗礼こそが永遠の命を得るためには不可欠なのだと言うのです。そして、風の話をしました。風はギリシャ語では「プニューマ」と言い、息や、霊という意味も含む言葉です。風は地上に吹いて、植物を繁殖させ、空気や海水を清浄にし、湿度や温度を適切に保つためになくてはならないものです。風が吹かなくなれば地球上の生物は死滅してしまいます。風は目には見えないけれど、地球上の生物にとってなくてはならない命の息なのです。しかし、いつ、どこに、吹くのかは分かりません。同じように、神の霊である聖霊も、目には見えませんが確かに存在し、活動し、吹かれた人の心を清め、新しい命を吹き込み、また、その人を動かす力強い原動力となるのです。
☆ 御子イエスを信じることによって人は二度目の誕生を経験し、神に国に入り、永遠の命を得る
人は霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることはできない。永遠の命を得ることができない。と言われても、どうすればいいのか分からずニコデモは途方にくれました。彼は、深い学識を持ち、高い社会的地位を持ち、豊かな富をも持っていましたが、心の中にはそれでは埋まらない虚しさと、死という闇を目前にした不安を抱えていました。そして、その暗闇から勇気を出して、またケチなプライドも捨てて、自分の子供ほどの年齢の、エリートでもなんでもない無名の庶民のイエス様のもとに心を低くしてやってきたのです。
それは、イエス様を悪意やねたみで曇らされていない清い目でみることができ、自分の地位や知識に高ぶらず、強がらず、謙遜に素直に自らの心を開き、救いを求めたからです。その、ニコデモの真実な心からの「永遠の命を得るにはどうすれば良いですか」という究極の質問にイエス様は究極の答えを与えました。