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礼拝メッセージ

「永遠の契約の印」
創世記17章11節

アブラムは主なる神の導きに従ってカナンの地にやってきたとき、主から、「あなたの子孫を星の数ほど与えよう」との約束の言葉をいただいた時から24年の歳月が過ぎアブラムは99歳になっていました。その時、主がアブラムに現れて言われました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」今日の第一のポイントは「全き者となりなさい」ということです。

☆ 全き者となりなさい

全き者とは、完全な者という意味ですが、私たちはそんなことを言われても、とてもじゃないけど無理、と思ってしまいます。しかし、ここで主が言われる全き者とは、何も神と等しい全知全能なる者、完全無欠な者ということではありません。主がわたしたち人間に求めている完全さというものは、おもに次の三つのことについてです。

☆ 人を愛することにおいての全き者

マタイによる福音書5章48節にはこのように記されています。
「だからあなた方の天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
ここでイエス様が私たちにお命じになったことは、人を愛することにおいて完全な者となれ、ということです。つまり、父なる神が悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるように、あなたがたも、自分を愛してくれる者や、自分の仲間、自分の家族、だけではなく、あなたがたを嫌う者や、憎む者、あなたがたに害を加え、苦しめる者、いわばあなた方の敵に対しても、親切にし、困っているときには助け、優しい言葉をかけ、祝福を祈ってあげなさい、と言われるのです。
以前、職場で私のことを毛嫌いし、目の敵にしていた人がいましたが、その人のことを、内心では大変憎んでおりました。しかし聖書を読み進むうちにこの言葉に出会い、葛藤をおぼえましたが、自分には無理だと、そのままにしていました。しかし、ある時思い直し、実際に祝福を祈ったところ、私の心は憎しみから解放され、大変晴れ晴れとした平安な気持ちになり、その日から気持ちの余裕が与えられ、意地悪も気にならなくなり、やがて、職場での仲間が与えられ、いつしか意地悪は止みました。神に自分を憎む者の祝福を祈ることにより、自分の心と周りの状況が変わっていったことを初めて体験した時でした。☆神を信じることにおいての全き者
主がわたしたちに求めている二つ目の完全さは、神を信じることにおいての完全さです。例えば、昼間は信じるけど、夜は神など忘れるとか、恵まれている時は神を信じるが、苦難に陥ると不信仰になるとか、逆に苦しい時の神頼みはするが、楽になればさっさと離れる、とか、2.3年待って分からなければ信仰をやめるというのではなく、つまり、いつでも、どこでも、どんな時でも、どこまでも神を信じる、信仰においての完全さ、ということです。

☆ 聖さにおいて全き者

主がわたしたちに求めている三つ目の完全さは、聖(きよ)さにおける完全さです。それは、罪の汚れから清められることです。肉の汚れとして、淫行、情欲、貪欲、怒り、悪意などが記されています。主は長く忍耐をしたアブラム(高貴な父)にアブラハム(諸国民の父)いう新しい名前を与え、契約の印として割礼を命じました。割礼は男性器の包皮の先を切り取ることですが、それは神のものとされた体に刻まれた刻印であると共に、古い自分、滅びに向かう肉の性質の除去を意味します。今は洗礼となりました。それは、神の民となる決断です。日々、思いにおいて、言葉において、行いにおいて、汚れを捨て、古き我を捨ててゆくことですが、全能の神が共にいます。そして私たちの罪のために十字架にかかられ復活され聖霊となられたイエス様と共に歩み続けることで、私たちは全き者となるのです。