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礼拝メッセージ

「神の時を待てずに」
創世記16章1〜16節

私たちは目に見える現実の中に希望が見えないとき、何の目に見える成果があらわれず、時ばかりが過ぎてゆくように感じるとき、焦りにとらわれ、神の時を信じて待つことができなくなってしまうことがあります。しかし、そんなとき誤った判断をしがちなのです。聖書は、見えない神の存在と、その神の愛や約束を信じぬくことの大切さ、またその実現を忍耐して待ち望むことの大切さを私たちに教えています。

☆ 不信仰により混乱や無秩序や争いが生じる

「わたしはあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を大地の砂粒ほど、夜空に輝く星の数ほど与えよう。」と約束されたアブラムは主を信じ、それが彼の義と認められました。ところが、何年たっても星の数どころか一人の子も与えられなかったのです。そしてとうとう10年がたちました。
まず動揺し始めたのは妻のサライでした。現実だけを見るならば、自分の体もおとろえてゆくばかりだし、子が生まれる可能性は少なくなってゆくばかり。サライは神を疑い始め、自分なりの方法でなんとかしようとしたのです。当時、妻に子ができない場合、女奴隷に産ませてそれを自分のものとするということが、この地の習慣として行われていました。サライはそれにならって子を得ようと考えたのです。サライは自分の女奴隷ハガルをアブラムに与えたところ、ハガルが懐妊したのですが、そのことによって女主人サライを見下し始めたのです。サライは想定外のことが起こり、傷つき、混乱し、怒り、それをアブラムにぶつけました。アブラムはこの事態になすすべもなく、「お前の勝手にするがいい」と責任を放棄すると、サライはハガルをいじめて、家から追い出してしまいました。

☆「わたしを顧みられる神」に出会ったハガル

ハガルは、サライの仕打ちに耐え切れずに家を飛び出しましたが、行く当てもなく荒れ野をさまよい、疲れ切って泉のほとりで途方に暮れていました。するとそこに主の御使いが現れて言ったのです。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです。」と答えると、主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」そして、主の御使いはハガルの子孫をも数え切れないほど多く増やすと約束されたのです。ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで「あなたこそ、エル・ロイ(わたしを顧みられる神)です。」と言った。・・・。ここに主の介入がありました。アブラムはこの事態を収拾することができず、ハガルを見捨ててしまいましたが、主は見捨てませんでした。そして、試練を通って豊かな祝福を受ける約束を与える最善の道を示されたのです。ハガルは自分をいつも見守っていてくださる主を知って、自分のいるべきところに戻る勇気を得たのです。

☆「わたしを顧みられる神」に目を向けた三人

主の御使いに出会ったハガルは、アブラムとサライのもとに戻り、事の顛末のすべてを伝えたことでしょう。次にアブラムが聖書に登場するのはそれから13年後です。その期間の彼らの三角関係については何も記されていませんが、アブラムもサライもハガルも、それぞれが、主が自分たちを見守っておられることを常に覚えながら、お互いにとって難しい人間関係の中で、謙遜や忍耐、寛容、そして信仰や希望や愛を学ぶときとして、過ごされたのではないでしょうか。「主なる神、イスラエルの聖なる方はこう言われる。『立ち返って落ち着いていれば救われる。静かに信頼していることにこそ、あなたがたの力がある。』」イザヤ書30:15a