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礼拝メッセージ

「バベルの塔」
創世記11章1〜9節

「より速く、より高く、より強く」これをモットーに掲げたプレゼンテーションを行い、東京オリンピックの招致に成功しましたが、この度のコロナ禍により当初の計画はまったく頓挫してしまいました。しかし、「より速く、より高く、より強く」という他の者よりも、より優れた者になりたいという願いは誰しもが抱いているのではないでしょうか。そして、それを個人としてだけではなく、自分の民族、国の優秀さを周りに誇示したいという欲求も人にはあります。しかし、そのような人間の野望は主の御心ではないのです。

☆ 知識と力を手に入れて高慢になったバベルの住人

ノアの息子セム、ハム、ヤフェトはそれぞれ子孫が増え広がり、各地に散ってゆきました。しかし、ある時ニムロドという強い王のような存在があらわれて、彼らを、またその言語を強制的に統一したと考えられています。彼は「主に逆らう、力のある暴君」で、周囲の人々に戦争をしかけ、打ち負かして捕虜や奴隷として支配した王であったようです。彼らは石と粘土のかわりにレンガと、アスファルトを使って建物を建てることを発明し、天まで届く塔を建て、有名になろうとしました。これは当時最先端の技術を使って新しい都市づくりを企てたということですが、「有名になろう」という言葉に自分たちの知恵と力を周りの人々に誇ろうとする高慢な心が表れています。しかし、主なる神が最も厭われることが高慢なのです。「神は高慢なものを敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」のです。

☆ バベルの塔の建設は人間の能力への驕りと神への不信仰の表れ

「・・・そして全地に散らされることのないようにしよう」と言った。(4節後半)この彼らの言葉には神への不信感がにじみ出ています。というのは、彼らはノアの時代の洪水のことも、その後に神がノアに立てた平和の契約も知っていたはずです。ノアは神に従う無垢なひとであり、神と共に歩んだ人であったので、神の言葉を聞くことができ、神の助けと守りを受けることができました。しかし、おそらく彼らはそうではなかったので、神の守りを信じることができず、自分たちの知恵と力で自らを救おうとしたのです。その結果、高い塔を建て、洪水に備えようとしたと考えられます。つまり、高い塔の建設は自分たちの知恵と力に対するおごりと、神に対する不信仰の表れだったのです。

☆ この世の言葉は混乱させられたが主は真の王を遣わされた

神は、人間の高慢と不信仰の表れであったバベルの塔の建設を挫くために、互いの言葉が聞き分けられないように混乱させられました。そして、その時から人々は全地に散らされてしまいました。その結果私たちは、さまよう羊のようになりました。しかし、私たちの造り主である主は、そのような私たちを憐れみ、今度は私たちを一つとするため、そして、自分たちの計画ではなく、神の御心を行い、神の計画を実現するためにまことの王を遣わされたのです。
この方こそ、私たちのすべての罪をご自身が負って、十字架上であがないの死を遂げ、復活された限りなく深い愛と、奇跡の力をもって私たちを導く、真の王、キリストなのです。この王のもとに戻るとき、私たちは世の苦役から解放され、青草の原に導かれるのです。
「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻ってきたのです。」1ペトロ2:25