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礼拝メッセージ

「主は私の羊飼い」
主は私の羊飼い

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」ダビデはかつて羊飼いでしたが、この詩の中では自分のことを羊に例えています。羊と言う動物はこの地上で生きてゆくのに非常に不利な条件をもっている弱い生き物です。
鋭い牙や爪はなく、速く走れるわけでもなく、近眼で、しかも方向音痴なのです。しかし、ただ一つ生きてゆく方法があります。それは羊飼いと共に生きてゆくということなのです。聖書の舞台となったパレスチナ地方は、岩がゴロゴロとしている砂漠のようなところが多く、青草の原やオアシスが点在しているそうです。「死の陰の谷を行く時もわたしは災いを恐れない。」4節羊たちが草と水をもとめて移動をするときに、ときには岩陰に野獣がひそむ死の陰の谷ともいうようなところも通らざるをえないときもあるのです。死の陰の谷とは、死が間近に迫っているような危険なところのことです。しかし、羊飼いが共にいるなら、羊は安全であり、すべての必要は満たされるのです。「あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」とありますが、これらの武器をもって、羊飼いは羊を守るのです。羊飼いが共にいるなら、羊は適切な時に青草の原に導かれ、水のほとりに憩うことができ、魂は生き返るのです。

ダビデは最初、イスラエルの初代王サウルに仕えておりました。そこにおいてダビデは目覚ましい働きをしたのですが、かえってそのことでサウル王の妬みを買い、命を狙われるはめに陥ってしまったのです。
なんという理不尽なことでしょうかダビデはやむを得ず怒りで気がおかしくなったサウル王から逃げる生活が続きました。「わたしと死の間には、ただ一歩の隔たりしかありません。」と言ったような死と隣り合わせの生活のなかで、ダビデは主を信頼していました。そして、主はダビデの信頼にこたえ、確かに守り、ダビデはこの理不尽な試練のなかにあっても、主を信頼し続ける信仰を学び、イスラエルの王となられたのです。

わたしがちょうど30歳の頃、主を信じ救われました。その時はオランダのアムステルダムの日本食レストランでアルバイトをしていましたが、聖霊の促しによって、仕事をやめ、全財産を捨て、ホームレスになって、独りでアムステルダムの人々に伝道をしていた時がありました。その後、東京の山谷地区でホームレスとなり、合計一年半ほどホームレスをしていたときがあります。しかし、その間、一度として生活において欠けることはありませんでした。そこでわたしが知ったことは、この主を信じて共にあるとき、初めてあらゆる心配、思い煩いから解放されるばかりでなく、実際に主は信じる者の必要を満たしてくださるということです。ここにある憩いの水のほとりの憩いとは、安息ということです。それは肉体的、精神的労苦の悩みから解放された平安ということです。神から離れて生きる世の多くの人々は自分の力に頼り、自分の知恵に頼り、自分の富に頼って、平安を得ようとしますが、心配は尽きることがありません。しかし、主と共にいきるなら、汲めども尽きぬまことの憩いの水を味わうことができるのです。