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礼拝メッセージ

「暗いところに輝く灯火」
ペトロの手紙第二1章16〜21節

時々、お寺の玄関に達筆で名文句が書かれているのを見て、はっとしたり、思わず深く頷いてしまうことがあります。その他にも古今東西の偉人や、賢者と言われる人々の言葉なども書物に残されており、世の中には私たちのためになる良い教えがたくさん存在しています。

パナソニックの創業者、故松下幸之助さんは、「学ぶ心があるならば万物は師である」と言われ、周りのすべての人から謙遜に学ぶ姿勢の大切さを述べました。
しかし、実は本当の師は私たちは一人しか持てないのです。
例えば、人生の岐路に差し掛かるとき選べる道は一つだけです。サッカーの試合で監督が何人もいたらどうなるか、交響楽の指揮者は一人です。同じように私たちが進むべき一度きりの人生を導く師は実際には一人しか持ちえないのです。

ペトロは、かつてイエス様に連れられて山に登ったとき、イエス様の姿が祈っているうちに顔は太陽のように輝き、衣は真っ白に光を放ってゆくところを目撃した。

その時、
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け。」という天からの声を聞いた。
「聞く」とは、ヘブライ語でシェマーと言い、聞き従う、ということまでを含んだ語だ。
キリストの言葉を、軽くではなく、深く聞き、受け止めて、その御言葉に従うときに、永遠の命への道が開かれてゆく。

そして聖書には「あなたがたの究極的な師はキリスト一人だけである。」と書かれている。

罪深い私たちの罪を赦し、永遠の天国を約束し、その道のりを離れることなく共に歩んでくださるキリストのみが、私たちの人生のまことの師であり、この方だけが私たちを導くことができるのです。