獅子舞に頭を嚙みつかれると賢くなる、などと言われますが、賢くなりたいという願望は古今東西の人間に共通のものでしょう。
しかし、その願望を用いて悪魔も誘惑をすることが創世記には描かれています。
エデンの園の中央に生えていた善悪の知識の木の実だけは食べてはいけない、食べると死んでしまうから、と神が禁じたにもかかわらず、人は悪魔に「その木の実を食べるとあなたたちの目が開け、神のように善悪を知ることができるようになる。」と食べると賢くなるようにそそのかされ、人はその誘惑に負けて神に背き、禁じられていた木の実を食べた結果エデンの園から追い出され、死すべき者となった、という話からも、古代から人は賢くなりたい欲求を強く抱いていたこと、また、その欲求を悪魔も用い、神に背くように誘惑されることがわかります。
しかし、また聖書には銀よりも金よりも真珠よりも尊いものとして知恵の素晴らしさが褒めたたえられているように知恵には神に喜ばれる知恵と、神に厭われる知恵とがあるのです。
☆ ユダヤの祭りに参加した少年イエス
ユダヤには年に3回大きな祭りがありました。律法にはそのうちの少なくとも一つには成年男子は参加する規定がありましたので、12才になったイエスも両親とエルサレム神殿で行われる過ぎ越し祭に出かけたのです。
ユダヤ人の男子は12才になると大人の仲間入りをし、父親の職業の見習いを始め、神殿での祭りにも参加するのです。そしてエルサレムへの巡礼は親類縁者、また同じ村の人たちと団体で行くことが慣例でした。
7日間の祭りの期間を終えた時、そのままイエスはエルサレム神殿に残っておられたけれど、両親は気づかず、一日分の帰路を行き、テントを張って寝よう、という段になって、イエスがいないことに気づいたのです。もう12才ですから、両親は近くにイエスがいなくても、気にも留めなかったのでしょう。
しかし、不安にさいなまれ両親は日の暮れた道を引き返し、イエスを探し始めました。
☆ 神殿で学者と問答をしていた少年イエス
とうとう三日目になり、エルサレム神殿に入ると、何やら境内で人だかりができています。よく見ると学者たちの真ん中に座って問答をしているのはイエスです。周りの人々はイエスの賢い受け答えに驚いていました。しかし誰よりも驚いたのは両親です。「何をしているの!?お父さんも私もどれほど心配したと思っているの!」と安心すると同時に驚きあきれ果てるマリアにイエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前ではないですか。」と答えたのです。
☆ 神の知恵は謙遜を伴う
イエスはこの時、自分は神の子だと宣言をしたのですが、両親にはイエスの言葉の意味が分かりませんでした。すでにイエスの知恵は両親をはるかに超えていましたが、それからイエスは一緒にナザレに下って行き、自分を下に置いて、両親に仕えて暮らしたのです。
ここに、神の知恵が輝いています。世の知恵、悪魔からの知恵は人を高慢にし、人を侮りますが、神の知恵は、人を謙遜にし、人に仕える者とするのです。神から与えられる知恵は 愛を源とし、純真で、温和、かつ優しく従順なものであり、平和を実現するものなのです。